当ブログ、「TIS ENGINEER NOTE」の管理人をしているてぃすです。
このページでは僕のプロフィールとITエンジニアとしての働き方についての考えなどを紹介しています。
生い立ち
~小学生まで
1991年、茨城県に生を受ける。その後は親の都合で複数の学校を転々としておりました。
その過程で初対面の人とのコミュニケーション・他人の顔色を判断することを身につけました。良くも悪くも。
中学時代
サッカー部に所属するものの、才能と努力する気概の欠如からベンチにすら入らず。
そんな状況で満たされない自己承認欲求を満たすために楽器を始めてしまう。どちらかというと大きな過ち。
受験は何とかは入れそうなレベルの高校を適当に受験。
高校時代
学校に行かず、バンド活動に傾倒し始める。一応ギリギリ卒業しました。
受験は何とかは入れそうなレベルの大学を適当に受験。
大学受験
学校に行かず、バンド活動に傾倒し続ける。こちらもギリギリ留年せずに卒業。
4年生の2月に就職活動を始める。動き出しが致命的に遅すぎる。
何とか新卒で採用していただく。
社会人 Part.1
滑り込みで採用してもらった企業にて就業開始。
業務管理パッケージの運用をしている会社であり、使用しているツールも他で使いどころの無いようなマニアックなもの。一応ここでプログラミング言語に初めて触ることになる。
以下の理由から9ヶ月で退職。
- みなし残業制度
- 残業が習慣化した勤務文化
- 忘年会で女装してダンスさせられることになった
無事忘年会前に辞められました。
社会人 Part.2
友人の紹介でIT派遣会社に正社員として就職。
一通りJavaの研修を受けた後、通販サイトの開発現場に常駐。その後2年半ほど同じ現場で働くことになる。
使用されているフレームワーク・構成どれをとってもかなり古臭いもので、このまま続けていてもキャリアは絶望的。そんな環境で働き続けていました。
高校受験・大学受験・就職活動と人生におけるターニングポイント全てを適当に済ませてきた結果、25歳を過ぎても手取りが20万を下回るというポンコツ社会人が出来上がったわけです。
プログラミングに集中し始める
そんな状況において、ようやく僕にも人生に対する不安というものが芽生え始めました。
人生を好転させる方法は何かないだろうか、と考えているとき各所で「プログラマーは稼げる」という謳い文句がブログや広告にて目に付き始めました。
絶賛プログラマーとして低賃金に苦しんでいる身としては、何言ってんだこいつ状態だったわけですが、いろいろ調べ始めると本当にプログラマーは稼げるらしい。
つまり働く場所・環境さえ上手く選べばプログラマーというのは効率よく稼げる職業であるということに気づきました。
そのころには動かない理由を探すクセはかなり軽減されていたので、少し頑張ってみますか。ということで行動を起こし始めます。
Rubyの学習
そのとき自分はJavaというプログラミング言語を使用していたのですが、どうにもつまらなかったのです。
ならばもう少し楽しい言語というものは無いのかい?と考えたときに目をつけたのがRubyです。
悩む時間も無駄だと判断し、早速学習を始めました。
仕事を探し始める
とりあえずRubyやるのに今の会社は無理だと判断し、上司に退職の意を伝える。
それと同時に派遣・フリーランスエージェントにてヒアリングを実施してもらい、案件の紹介をしてもらうことに。
2週間ほどで計5件以上の企業で面談を受け、それぞれオファーをいただく。
現在:フリーランスエンジニアとして活動
派遣とフリーランスのハイブリット状態を得て、完全に個人事業主としての活動を開始しています。
基本的にはリモートでプロジェクトに参加しており、週1程度のペースでミーティングのために出社する、といった感じです。
長くなりましたが、これまでが現在までの自分の経歴となります。